以前お伝えした「鳥取第二工場(新工場棟)」の話です。
この件について建設に至った経緯の続きです。
鳥取の工場が建設されてから約60年経ちますが、この30年余りの間に関西と鳥取の億セスは飛躍的に向上しました。
1994年には智頭急行経由で大阪と鳥取を結ぶ特急「スーパーはくと」が運航開始され、2013年には中国自動車道と鳥取市を結ぶ「鳥取自動車道」が開通し、山陽と山陰の利便性が飛躍的に向上しました。大阪の本社工場と鳥取工場まで、3時間弱で行き来ができるようになりました。高石工業の中でも最大の量産工場として、鳥取工場の果たす役割はますます大きくなってきました。
そして2020年代に入り、新型コロナウイルスで「ステイホーム」となったことで、にわかにお客様の業界が活況となり、私たちの工場もフル操業となりました。このままでは工場がパンクすると危惧され、お客様にご迷惑をおかけするわけにもいかず、しかもこれから「水素」用のOリングも多く作ることになると予想されたため、「駐車場」として使っている場所に今回の「新工場棟」の建設に至りました。