先日、鳥取工場の創設50周年記念式典がありました。
鳥取工場は昭和37年より操業しています。なんと東京オリンピックの2年前です(私もまだ生まれていません)。一口に50年といいますが、一年の労働日数を250日とすると、250日×50年で1万2500日にもなります。暑い日も寒い日も、楽しい時もしんどい時も、倦まずたゆまずパッキンを製造してくれたスタッフの皆さんのおかげです。
式典には現役の35人に加えて、OBさんたちも10人ほどきてくれました。工場ができた頃に中卒で入ってきた人たちもいます。創設当時から働いている人がちょうど退職時期を迎えており、工場も若返りの時期を迎えています。実際、今鳥取工場の平均年齢は40歳を切っております。50年の歴史を紡ぎだしてくれた先輩方には、感謝の言葉しかありません。
「工場が大きくなっていく高度成長期のころは、みな若く活気に満ち溢れていた」など、昔話・思い出話は尽きることはありません。「昔は職場に冷房などなかったが今よりずっと丈夫だった、今の若いものは恵まれすぎている」などなど忠告も襟を正して拝聴しました。
50周年はこのOBの方々のおかげでもありますし、そして何よりこの鳥取工場で作り出した製品が大きな事故を起こさず、お客様の信頼をいただき続けられたことこそが一番の要因です。信頼は築き上げるのには気の遠くなる年月がかかりますが、信頼を失うのは一瞬です。縁の下の力持ちとして水道・ガス・空圧・油圧といった製品の中で機能を果たしてくれたことが、今日のそして明日の鳥取工場を、そして高石工業を作ってくれているのです。
私も普段偉そうに言っていますが、実際のところ鳥取の35人の皆さんに支えられてここまでやってきているだけです。特にここ数年の皆さんの5S・改善活動については素晴らしいものがあります。皆さんが危機感を感じ、工場が変わらないといけないと自覚し、これからもこの地で生き残れる工場に変わろうとしています。
現場の皆さんの努力のおかげで今、鳥取工場は我が社の「たからもの」です。中でも宝物は人だと思います。この現場そしてスタッフはどこに出しても恥ずかしくないのではないかと思います。この人たちと一緒にずっとこの地で働きたい。この人たちのために私は命がけで働こう。
本当に感謝の一言です。この会社でトップを張れる幸せを感じます。「男子一生の仕事」です。