あの3月11日から1年が経ちました。記憶は今でも生々しく蘇ります。その日私は出張先の駅のテレビを通して押し寄せ、陸地を蹂躙する津波に呆然と見入っていました。
あれからもう一年経ったのか、しかしまだ一年しかたっていないのかという複雑な気持ちがあります。被災された方々は想像するに余りある苦しい日々を送られ、また今日を生きておられるのでしょう。
ではゴムの業界はどうだったのか。3月12日号の「ゴム報知新聞」より記事を一部抜粋します。
「今回の大震災はゴム産業にも深刻な被害がもたらされた、(中略)直接的な被害に加え、原材料の調達など間接的な被害を加えると、ほとんどのゴム企業が何らかの形で影響をを受けた。」とあります。
私たちは工場が大阪・兵庫・鳥取だったため直接的な被災はなかったものの、原料の調達先から薬品が入らず、製造がままならなくなりそうになりました。一刻も早くというお客様からの需要と原料切れの危機のはざまで、あわやと言うところまでいったものもあります。おかげさまでその最大瞬間風速は過ぎ去りましたが、今も原料の調達が切れそうになった時の恐怖感はぬぐえません。
一方記事には「大震災を経験したことで、多くのゴム企業が危機管理体制を強化している」ともあります。弊社でも従業員の安否確認の再構築、BCP(事業継続計画)の策定に取り組んだりしています。阪神大震災の時も思いましたが、この記憶を決して風化させることのないよう、5年後10年後を見据えて次代の礎となるものを新たに築いていかないといけないと思います。
今日の朝礼で私は会社の皆さんに申しあげました。
被災された皆さんのために私たちは何ができるのだろう。ボランティアも気高い、寄付をするというのも素晴らしい。しかし私たちの製造している製品は水道・ガス・ポンプなどのインフラで使っていただいているものが多く、その中でも東北の地の復興に使われているものがたくさんあります。私たちの何よりの復興への貢献は、目の前のお仕事を一生懸命行うことです。少しでも復興のお力になれるように、日々努力していきましょう、と。
軽々しく言えることではないのですが、被災地の皆さんの一日も早い復興と幸せを願ってやみません。