東日本大震災の甚大な被害を見るにつけ、「あの時祖父はどうしたのかな」と考えます。
「あの時」とは63年前、祖父の創業当時のことです。
戦後間もないころで、中国から復員してきた祖父は、大阪市内にパッキン製造の会社を興しました。
機械も材料もない中、人のつながりを大切にして操業していたようです。
その当時は自動車もなく自転車と電車で得意先回りをしていたとか。
遠くのお客様は夜行列車に揺られて訪問したのだとか。
その甲斐があって、今の高石工業の礎が築かれました。
「お客様と苦労して開発した製品こそが後々まで生き残る」といっていたそうです。
当時の取引開始票を見ると、昭和30年代がずらっと並びます。
主な業界はガス・水道・油圧機械・・・
多くのお客様はそのころから50年以上も変わらず取引をしてくださいます。
「今までの実績を考えると、怖くて他社製品に取り替えられない」とのありがたい言葉もいただきます。
今回本当にありがたいことに、大阪・兵庫・鳥取の3工場とも被災を免れることができました。
今日も操業を続けています。しかし被災された皆様のことを考えると、助かったなどと喜んでいられるわけもありません。
いま私たちにできることは何かと考えます。原料・薬品が品薄になるとの情報もありますが、今できることは、お客様との今までの信頼を大切にして、安定供給に努めることだと思っております。