1995年の阪神淡路大震災から29年経ちます。
(出典:神戸新聞NEXT)
1995年1月17日の阪神・淡路大震災は、明け方5時46分に発生しました。
マグニチュードは7.3、震源地の震度は7でした。
阪神大震災の時、明け方5時46分にたまたま起きていて、本やCDが棚から飛んできたのを覚えています。それでも本棚が倒れたくらいで済みました。
時間とともにひどくなる状況に、私はテレビに映る惨状に呆然としていました。「まさかこんなことになるとは」と思った記憶があります。
高石工業では大阪工場で瓦が落ちたり、棚が倒れたり、機械が倒れたり、壁にひびが入ったりしました。大阪工場の地域では震度4だったようです。
それでも会社は休業せずに操業できました。しかし、山崎工場の消息が一週間わかりませんでした。まだ私は働いていなかったのですが、当時は道路が寸断されて、工場ごとの行き来ができなかったそうです。電話はつながっていましたが、現状確認ができなかったのです。工場近くには断層が走っていることもあり、相当の被害が予想されました。
何せ阪神高速が倒れるような状況だったのです。実際に工場を見に行ったのは一週間後だったそうです。どうなっているのか、いつ着くのかまったくわからずに現地に向かった人は勇気がいったといいます。中国道が一車線通行となっていて、通常2時間の道が8時間かかったそうです。
当時のことを高石工業社内で知る人はもう数えるほどになりました。
先代社長はあの時のことを教訓にして、倉庫など耐震補強を行いました。
時々備えを忘れそうになるのはやはり甘いな、と自分に対して思いながらも、BCP(事業継続計画)を見直して備えるようになりました。
あれから29年が経ちました。
今年の元日には大きな震災が能登で起きました。
震災に遭われた皆様には心よりお見舞い申し上げます。