水素機器用エラストマー材料研究分科会の定例会で、山形県米沢市に行ってきました。
いつもながら発表内容が興味深く、晩のすき焼き(!)も美味しくて、行って良かったと思ったのですが、一番良かったのは「上杉神社」を訪れたことです。
「米沢観光ナビ」によると「上杉神社」は、
「明治9年、上杉謙信、上杉鷹山を祭神として、米沢城本丸跡に建立されました。
明治35年に別格官幣社(べっかくかんぺいしゃ=明治政府が定めた神社の位置づけ、分類を表す。国に尽力した人物を祀る神社)に指定され、このとき祭神は謙信のみとなり、鷹山は摂社に祀られ松岬神社となりました。」
とあります。
これが上杉鷹山像。上杉鷹山は米沢藩中興の祖と言われた名君で、wikipwdiaによると、
「上杉 鷹山(うえすぎ ようざん) / 上杉 治憲(うえすぎ はるのり、1751年9月9日 – 1822年4月2日)は、江戸時代中期の大名で、出羽国米沢藩の第9代藩主。領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られている。諱は初め勝興、後に治憲であるが、藩主隠居後の号である鷹山の方が著名である。」です。
上杉鷹山は童門冬二さんの小説でも有名で、身をもって範を示し、経済殖産の道を切り開き、無私の心を貫きました。この姿勢が経営者の鑑ともいえ、読む人の共感を呼びます。
元米沢城だっただけあって、神社に入る前には堀が張り巡らされていました。
堀には鯉がたくさん飼われていたのですが、これも元はと言えば鷹山公が領民に動物性たんぱくを食べさせたいという願いから飼い始めたようです。
鷹山公の有名な言葉です。
「為せば成る なさねばならぬ 何事も
成らぬは人の なさぬなりけり」
これを言われたら、経営者としてはぐうの音も出ません。
誠にその通りです。
本殿で参拝をしました。
二礼二拍手一礼、何を願ったかは内緒です。
上杉謙信と直江兼続の像もありましたよ。