人間国宝の落語家・桂米朝さんがなくなりました。
89歳でした。
私は小さい時から落語が、しかも米朝さんの噺が好きでした。
初めて生で見たのはたしか、10歳の時に父に連れられて行った独演会です。
サンケイホールでの独演会は、わからない言葉だらけだったものの、魅力にあふれていました。
それから落語が大好きになり、私にとってのアイドルは桂米朝であり、桂枝雀でした。
成長するにつれ、折に触れ落語は音楽のように身近にありました。
「米朝落語全集」なる全15巻の口述筆記の本を片っ端から読んだりするほどでした。
大学では落研に入ろうかと本気で考えたほどでした。
社会人になってからも何度も見ました。
米朝さんが話すとそこが海になり、空になり、貧乏長屋になり、地獄の底になり、すべてが超越して見えました。
人間国宝になろうとなるまいと、ほかの噺家さんたちとは一味もふた味も違いました。
「人生の機微を知りたければ寄席に行け」という言葉がありますが、米朝さんの話はいつも愛のある人生の縮図でした。
晩年の数年間は新しい演題ではなく気に入った話をいくつか高座にかける感じでしたが、いつ聞いても円熟味があり、別世界に連れて行ってくれました。
ここ数年は高座に立つこともなくなりましたが、生きているだけで素晴らしい存在でした。
今も私のiPhoneの中には「はてなの茶碗」と「一文笛」が入っています。
夏目漱石は「圓朝と同じ時代に生きられて幸せだ」と言っていたそうですが、私は米朝さんと同じ時代に生き、噺を何度も聞くことができて幸せでした。
落語は今も好きですが、もうこれほどの噺家に会うことはないでしょう。
どうか安らかに。
合掌。