あの「3.11」から2年が経ちました。
あの日は九州に出張に行っていて、携帯のニュースで地震の発生を知りました。「大地震が起こったらしい」とはお客さんと話していたのですが、帰りの新幹線は新大阪まで不通になり大混乱で、新大阪まで何とか帰ってきました。新大阪駅では構内に座り込む人たちでごった返していました。見たことのない非日常な光景でした。
深夜家に帰りついてから、悲惨な状況を知りました。テレビの画面に映し出されていたのはまるでパニック映画の一シーンでした。この津波の下に多くの人がいると考えるだけで胸が痛みました。
東京も大変な混乱だったようで、横浜の友人に連絡を取ったら、帰宅難民になっていて30キロ歩いて帰ったと聞きました。
その後被災をされた方やボランティアに行っている友人から直接話を聞く機会があったりもしました。それでも私はあれからまだ直接東北には行けていません。
昨今テレビの特集で見る東北三県の現状はまだまだ悲惨で、そこで生きる人の暮らしはとても正視に耐えられないものばかりです。それでも遠い世界のように見えてしまいます。ちょうど阪神淡路大震災の時のようです。あの時も近くで大きな被害が出たのに、テレビで見るとなんだか違う世界の話のようでした。
私たちのゴムパッキンは水道・ガス・トイレなどのライフラインで多く使われています。復興に向けて少しでもお役にたてるのならなんでもしたい、そう思って仕事をしてきました。その気持ちは今でも変わっていません。
こうして今日の日を生きることができることの幸せと、きょう一日悔いなく生きる決意とを胸に抱いて、これからも少しでもお役にたてるよう、頑張っていきたいと思います。