社長ブログ・ゴムのヒント社長ブログ・ゴムのヒント
2011年3月23日

阪神大震災の時のこと

今回の東日本大震災のニュースを見ると、阪神大震災の時のことを思い出します。
生きているうちに日本で阪神大震災を上回る震災が起きようとは思っておりませんでした。
 
阪神大震災の時、私は大阪の実家にいました。
明け方5時46分ににたまたま起きていて、本やCDが棚から飛んできたのを覚えています。それでも本棚が倒れたくらいで済みました。
 
当時は道路が寸断されて、工場ごとの行き来ができなかったそうです。
「そうです」、というのはまだ私は働いていなかったからです。
あの時も私はテレビに映る惨状に呆然としていました。時間とともにひどくなる状況に「まさかこんなことになるとは」と思った記憶があります。
 
大阪工場では瓦が落ちたり、棚が倒れたり、機械が倒れたり、壁にひびが入ったりしました。震度4だったようです。
それでも会社は休業せずに操業できました。しかし、山崎工場の消息が一週間わかりませんでした。電話はつながっていましたが、現状確認ができなかったのです。断層が走っていることもあり、相当の被害が予想されました。
何せ阪神高速が倒れるような状況だったのです。実際に工場を見に行ったのは一週間後だったそうです。どうなっているのか、いつ着くのかまったくわからずに現地に向かった人は勇気がいったといいます。中国道が一車線通行となっていて、通常2時間の道が8時間かかったそうです。
 
復興の時には工場の被災が少なかったので、あちらこちらから注文が来たとか。
油圧機械関係・水道関係・ガス関係とインフラ・ライフラインにかかわるお客様が多かったから、と当時を知る人は言います(といっても私たちの製品はOリングやパッキン・ガスケット・ダイヤフラム類ですので、小さいですしあまり目につくところに出ることのないものですが)。てんやわんやの中で仕事をして何とか間に合わせたそうです。その後業務内容が落ち着いたのは2年ほどたってからといいます。
 
当時のことを大阪の本社で知る人はもう数えるほどになりました。先代社長はあの時のことを教訓にして、倉庫など耐震補強を行いました。時々備えを忘れそうになるのはやはり甘いな、と自分に対して思います。
 
いつもと変わらない一日であることを大変に幸せなことだと思っています。これからも長い避難の日々を過ごされる被災地の方々に何かお役にたてないかと、心から思っております。思いながらも被災地に食糧を届けることもボランティアもせず、募金をするくらいの自分に忸怩たる思いです。せめて今の自分たちの仕事に全力を注ぎ、ゴム部品の安定供給に努めることがまわりまわって被災者の皆さんの手助けになり、復興に役立つと思っております。
 
神戸の時も復興を果たしました。あのころの赤ん坊はもう高校生です。悲しい思い出はもういりません。東北・関東の小さい子供たちに笑顔が戻りますように。
  • プロフィール

    高石工業株式会社 代表取締役 高石秀之

    高石工業株式会社 代表取締役
    高石秀之

    ゴム精密部品の量産事業をはじめとして、ゴム精密部品の試作・研究開発に取り組んでいる。

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