1995年1月17日、阪神淡路大震災が起こりました。
弊社の大阪工場も揺れて、3階の成形機がひっくり返ったりしました。
かなり揺れたけれども、建物にはひびが入ったくらいですみました。
困ったのは中国道が寸断され、山崎工場へ行けなかったことです。
それくらいで、お客さまには最小限のご迷惑ですみました。
今日は被災地である西宮に住んでいた人と、ちょうど地震が発生した時間に待ち合わせ、出張で一緒でした。
道々「その時どうでした?」と聞いて見ました。
「突然ドーンと言う突き上げるような衝撃でした。
家の前の建物が崩れて、自衛隊も消防隊も来なかったので、付近の住民で瓦礫の山を崩すのがたいへんでした。
電気も水も水道もなく、小学校での避難生活を余儀なくされました。普段何も思わずに使っている水のありがたさを痛感しました。
家族の食糧調達のため西に向かい、武庫川を越えてコンビニで買出しをしました。戦場みたいな有様なのに一本川を越えたらものすごく普通の生活で、その違和感に戸惑いました。
いまは神戸も西宮もきれいになりました。逆にこういうことがあったからこそ復興に神戸の人が一丸となれたのでしょう。
自分自身も年数が経つと忘れてしまうけれど、生きているありがたさを噛み締めています。」
その時は嫌な思いも沢山されたでしょうけれど、それを悪く言わないのはさすがだなあ、と思いました。
今日は行きも帰りも大雪で、行きは2時間、帰りは1時間の遅れですが、震災に比べたらなんてことはありません。
私も普通に生活できることのありがたみを感じ、一日一生の気持ちで感謝して過ごしました。