単身赴任で鳥取から遠路はるばる大阪工場に来ています、
たけのこおじさんこと、石原慎太郎です。
さかのぼること、2014年12月某日、鳥取の田舎から
軽トラックの荷台に原付バイクを積み、妻と2人で大阪工場にやってきました。
当時のことは、今でも鮮明に覚えています。その日、鳥取の実家を13:00頃出発しました。
本来であれば、鳥取の実家から大阪工場までは、2時間30分程度で到着するのですが
なぜかその日は、中国自動車道吹田インターチェンジを降りたあたりから渋滞がひどく、
結局18:00頃に大阪工場に到着し、片道5時間程かかったのを覚えています。
12月は、冬真っ盛りなので薄暗い中、大阪工場に到着してから、
原付バイクを降ろすとき大阪工場の社員のかた数名に手伝ってもらい降ろしました。
手伝ってもらえると思っていなかったので、結構うれしかったのですよ(*´▽`*)
それから、数日かけて新居に寝具や生活用品を揃えたりするのも大変でした。
大阪工場営業部の某F係長さんにお店へ連れて行ってもらい仲良く買い物をしたことも忘れません。
最初は、どうやって大阪工場で業務をすればいいのか右も左もわからない状態で
何度も、様々なことで周りの人から注意されたことも覚えています。
当然、鳥取工場では経験したことが無いような文化の違い?と感じることもありましたが、
徐々に体も気持ちも慣れていき、周りの方からもいろいろと教えてもらいました。
最初の1年は、自分の居場所を見つけることに苦労しましたが、
自分の役割を考え、何をしないといけないのか?
また、何ができるのかを考え、毎日のように繰り返し実行しているうちに、
しだいに社内でも必要とされるようになっていった記憶があります。
当然、事務員が社内で業務を遂行する上で一番大切なことは、
コミュニケーションが必須条件ですが、
業務をスピード命で遂行すること、正確に情報伝達することに加え、
社内を、より良い雰囲気に変えるために自分を変えることに徹しました。
最近では、現在の私と数年前の私とでは別人とよく言われることがあります(笑)
さて、そんな単身赴任の生活ですが2021年に転機が訪れます。
約2年前から、新型コロナウィルス肺炎の流行により世界中が混乱の渦中ですよね、
知らない方は、いらっしゃらないと思いますが、
業務でも大きな変化があり、社内でもリモートワーク、テレワークと呼ばれる遠隔業務が、
一部の業務では日常的にあたりまえになりつつあります。
ただ、デジタルと、アナログが混在している日常では、遠隔業務のやりにくさも感じます。
元々鳥取工場に勤務していた私は、大阪工場に単身赴任で来てからは製造事務として
大阪、兵庫、鳥取の国内3工場、ベトナムのホーチミンの1工場の生産を
円滑に進めるため日々SNSなどを利用し、日常業務を進めてまいりました。
最近では、電子化も大分進んでいますが、まだまだ紙ベースで動いている書類もあり
社内では、日本特有の判子文化も未だに残っています。
ただ、いままでと確実に変わりつつあることが、電子印を用いてリモートで決済を
行えるようになったことと、社内会議、ミーティングを専用ツールで行えることなど
遠くにいても、海外にいてもネット環境さえあれば遠隔業務ができ、
応用さえすれば鳥取工場でも問題なく仕事をできる環境が整ったことを踏まえ、
今年12月までに単身赴任を終了し、鳥取工場勤務へ戻ることとなりました。
最初は、2年間という話で大阪工場に単身赴任で来たのですが、
大阪工場で重要な業務を任せられるようになるにつれて、なかなか帰る準備もできず
7年近く大阪工場単身赴任生活を続けてしまいました。
先日、どれくらいの日数単身赴任をしていたのか改めて調べてみたのですが、
今日のブログが更新された、2021年9月9日(木)で、単身赴任開始から
・6年8ヶ月+26日
・6年+269日
・2461日
・351週+4日
・80ヶ月+26日
経つことになります。
ということで色々な表現方法がありますね(笑)
思い起こせば、約7年間いろいろなことがありました。
単身赴任に来た当時、33歳だった私も40歳になり、
子供も、まだ保育園に通っている頃から、小学生になり、新たに娘も産まれ
両親、妻にも単身赴任中ずっと支えてもらいました、本当に感謝しています。
大阪工場で経験した約7年という時間は、
設備に関わる業者の方とのやり取り、生産に関する金型屋さんとのやり取り、
社内の仕組みを考えたり、工場毎のローカルルールをできるだけなくし、
全工場でルールを統一させたり、お客さんの応対であったり、
時には、監査に対応したり、ベトナム工場に行き現地の社員に指導をしたり、
まだまだたくさんありますが、なかなか経験できないような業務をやってきました。
大阪工場での単身赴任でないと、実現できない言い表すことが出来ないほどに貴重な時でしたが、
単身赴任というだけで経費もたくさん掛かるにもかかわらず、
大阪工場に私は何を残すことが出来たのだろうかと
最近、しばしば家でお酒を飲みながら考えています。
鳥取の田舎から、上司として大阪工場に単身赴任で来るわけですから
私の性格からいうと最初は、大半の人が嫌な思いをされたと思います(笑)
当時は、大阪工場の皆さんにも受け入れられないことが多かったのではないでしょうか。
今は、大阪工場の皆さんに多少なりとも石原慎太郎という存在を
受け入れていただけたかなと私なりに感じております。
単身赴任と言いながら、鳥取にも長期間で帰らせてもらうこともあり、
自分で予定を決めた鳥取工場勤務もしばしば、不定期な単身赴任ではありましたが、
そんなわがままを許してくださった、社長、各部門長の皆さんをはじめ
不在の時に、代わりに業務を手助けしてくださった皆さん、
社内卓球部の皆さん(もっと成長して勝てるようになってね(笑)( ゚Д゚))
長期間私の単身赴任を許してくださった鳥取工場の皆さん、
「本当にお世話になりました。ありがとうございます!」
単身赴任で得た知識や、経験、辛かったことも、楽しかったことも
これから先、忘れることが無いかけがえのないものです。
鳥取工場に帰還しても、大阪工場に来なくなるわけではありませんので
たまに泊まりで来た時には、いつかお酒を飲みに行ける日が来るのかなと
考えながら、あと数か月ですが単身赴任生活をやり遂げます。
運が良かったとしか言いようのない、7年の単身赴任生活でした!!
ここで後輩の人へのアドバイスです。周りの人から認められるためには、
①まず自分自身を見直す事(人のせいにしがちだけど、自分はどうなの?)
②自分よりも他の人を優先で考え自分に何ができるのかを見つける事
③できるだけ笑顔を大切に笑って過ごせる時を多く作る事
とにかく周りの人から必要とされるよう、自分の居場所を作って下さい(^^)
以上、たけのこおじさんからでした!
またお会いしましょう。