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2021年11月12日

私の3年間の実習生時代について

ベトナム工場 フィです。

 

 

2011年から2014年にかけて、実習生として3年間日本へ勤めに行ってきました。

 

 

 

 

 

 

私にとって、日本3年間の実習は、とても良かったと思います。

 

 

 

良かったのは、3年間貯金して、家族の手伝いができ、日本人たちのマナー、日本人の友達ができ、日本の文化習慣の習得ができました。

 

 

その中でも一番良かったのは、日本語が話せるようになりました。

 

 

 

 

 

いままでもみんなに、『なぜ日本へ行きたいですか』とよく質問されていますが、日本へ行く前の私の回答は、「貯金すること」です。

 

 

 

ただ、日本へ来てから、貯金するのが一番と思わず、一番は「日本語」と考え方が変わりました。

 

 

 

 

 

何故考え方が変わったのかとういと、外国人にとって、日本語がとても難しいです。

 

例えば:ベトナム語ならローマ字のみですが、日本語なら『漢字』『ひらがな』『カタカナ』3種類もありますね。

 

 

 

 

わざわざ日本へ勤めに来て、その世界での3番目の難しい言語がわかるようになったら良いことになると思いました。

 

 

 

 

日本語が理解できたら、帰国し、ベトナムでの日本会社へ勤めて、実習生の3年間の貯金した分よりよく稼げると思いました。

 

 

 

 

ただ、思うだけは、簡単ですけど、実際日本語を勉強するのは、そんな簡単ではありません。

 

実習生の1年目は、とても辛かったんです。

 

辛かったのは、会社の日本人たちに嫌われるのではなく、自分の日本語の能力です。

 

会社の作業では、毎日日本人たちと一緒にコミュニケーションを取りながら作業されますが、自分が日本語の理解ができず、なかなか作業がスムーズに行けなかったんです。

 

 

 

 

実際日本へ行く前は、ベトナムの学校で6ヶ月間、日本語を勉強していましたが学校で習った言葉と実際日本に来て、日本人から使う言葉とは相違が多くあります。

 

例えば:会社では日本人が使う大阪弁、話すスピードが速い、若い者の言葉とかとか。。。

 

 

 

 

 

それで、1年目はずっとストレスが溜まりすぎました。

 

頭の中にずっと考えて「なぜ先輩たちがN1(という日本語の能力試験一番レベルの資格)が取れましたが、自分は日本人と会話だけでもできないだろうか、

 

なぜ先輩たちができたのに、自分ができないのか」と考え直しました。

 

 

 

 

結局の原因は自分の努力がまだ足りないことです。

 

その原因を把握して、その時の自分の日本語能力を2倍、3倍くらいに努力しないとけないと、自分がはっきり決めました。

 

なんでもそうだけど、目標がないと無気力ですね。

 

 

 

 

考え直して、自分が絶対に日本語が話せるようになりたい為、毎週の木曜日の夜の日本語の授業に参加や土日曜日には、国際交流センターで勉強に行くのを始めました。

 

▪毎週の木曜日の終業時間後、会社からバスで直接に国際交流センターという外国人向け日本語クラスへ勉強に行き、そこでベトナム人たちだけではなく、アメリカ人・中国人・台湾人の様々な国もあります。

 

そして、いろいろな友達ができて、日本語の勉強だけではなく、皆さん国の文化や風習等も勉強になり、楽しくていつの間にか段々日本語が好きになりました。

 

 

木曜日の夜の勉強が終わってから夜約8時30分、それから帰り、寮に着いたら約9時30くらいになり、お風呂に入り、晩御飯を食べた後は夜11時くらいです。それはずっと3年間繰り返していました。

 

やはり一日作業後は疲れが出て、勉強しに行ったら、集中力が落ちますね。

 

 

 

 

ただ、どんなことでも最初は、とてもつらいと思いますが、そのつらさをなんとか乗り越えてから成長になると思います。

 

 

▪土日曜日は会社休みなので、時間があり寮から自転車を漕いで、また国際交流センターで勉強に行き、朝から夕方までプライベート先生と何でもかんでも日本語を勉強していました。

 

日本語能力試験や自分の分からない言葉(本を読む時わからない言葉や会社でおじいちゃんから言っていた言葉、大阪弁とか、若いものの変な言葉とか)(笑)なんでも初耳の言葉をメモを取り、先生へ聞いて、教えて頂きました。

 

 

 

ずっと勉強しているわけではなく、少し疲れそうと思って、その日は勉強せずに、先生と一緒に、花見に行ったり、登山したりお茶会に参加したりいろいろ体験ができました。

 

 

 

 

 

その先生のおかげで、段々日本人たちと会話でき、日本語能力試験もN2も取れました。

 

 

 

 

それから日本で毎日楽しみなことがいっぱいありました。

 

当日、今までも鮮明に覚えています、朝出社して、日本人の上司からおっしゃった言葉を聞いて、80%くらい理解できました。

 

『あれ?なぜ突然日本語を聞いてわかったのか、いまは夢?。。。』自分の頭の中に、いろいろ考えていました。実際は実現です。(笑)

 

その時は、嬉しすぎて、嬉しい涙を堪えることができず、泣いてしまいました。

 

 

 

『努力の成果が出る』ですね。

 

 

 

 

その以降は、毎日日本人たちと日常会話が増えて、作業のコミュニケーションも取れて、毎日作業を楽しみにしながらやっていました。

 

多分、毎日少しでも新しい言葉を勉強し続けて、日本人たちと接触回数が増え、頭の中に日本語が段々馴染んできたのではないかと思います。

 

『塵も積もれば山となる』ですね。

 

 

 

 

そういう日本での思い出が決して忘れられないです。

 

 

 

 

日本へ行く前は、3年間終わりの帰国日をずっと待っていましたが、3年間日本での生活には慣れてきて、帰国したくないくらい日本が好きでした。

 

あっという間に3年間が経ち、とうとう帰国日が来ました。播磨町駅で、仲良く日本人の仲間たちと後輩たちと別れて、日本へ来て、2回目の涙が出ていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

3年間での後悔のない私は、今までの人生では一番の成功だと思います。

 

 

 

3年間日本へ来たおかげで、私の人生は大きく良い方向に変わりました。

 

私は後輩たちによく言っていますが、普通の人から見て3年間はとても長いと思いますが、ちゃんと目標を立てて3年間だけ努力したら、あっという間に終わり、また日本語ができたら、その後の生活が楽になるのではないか。

 

 

 

正直に言うと、私は3年間日本に来たおかげで、日本語ができて、昔の友達に比べたら自分の居場所があります。

 

 

 

 

最後に言いたかったのは、実習生たちはもし日本へ行けるようになったらそのチャンスを大事に思って、3年間の後悔のないように、3年間が終わって、胸を張って帰れるようになったら3年間の成功、帰っても会社では自分の良い思い出に残るように。

 

 

 

 

 

長文ですが、お読みいただきありがとうございました。

以上です。フィ

 

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