-
高石秀之
高石工業株式会社 代表取締役
高石工業株式会社Webサイトへ
ゴム精密部品の量産事業をはじめとして、ゴム精密部品の試作・研究開発に取り組んでいる。
10年の振り返り
-
2016年10月03日
何かが変わる瞬間
私自身が9年前入院した後に思ったことを、今も実践していることがあります。会社の中の人にいつも「ありがとう」と感謝の気持ちを伝え続けることです。
小さなことでも「ありがとう」、何かやってもらったら「ありがとう」。社長だから、立場が上だから、などと思っていません。
元々自分は大した人ではないし、回りの人はやってくれなくて当たり前。わかってもらえなくても当たり前。
ちょっとしたことでもやってもらったら「ありがとう」という言葉が自然に出てくるようになりました。
あと、会社の風土の改善・改革にあたっては続けることが大事だと思います。
私も改善していこうという中で、最初はやってるつもりでもなかなか成果が出てこないことがありました。
成果が出てこない中で続けて、2年3年やって初めてやっと、あ、みんなの意識が変わったなと思う瞬間があったりします。
そういうことがあると、やってきてよかったなと初めて思います。自転車のひとこぎめがしんどいのと同じで、それができてくるとあとは加速していきます。
そこまで続けるということが必要かなと思います。
それにもう一つ、やっててよかったなと思うことがあります。
長く働いている社員の一人が言っていたのですが、
「昔だったら、自分が高石工業で働いていることは恥ずかしくて友達に自慢できなかった。でも今だったら、友達にもこの会社はいい会社だよ、家族にも働いてみないかと自分から言えるようになった」と。
それはとてもうれしかったです。
働いている仲間の気持ちも変わって、会社がよくなっていることが実感できた瞬間だったと思います。
そういったみんなの変わっていく前向きな気持ちが集まって、会社の風土は良くなっていくのかなと思います。
そうはいっても、私はまだまだですけれど(^^;
カテゴリー:10年の振り返り -
2016年09月12日
私の転機
私は10年前に先代から事業を継承しました。
2006年6月に私が社長になって、父親が会長になりました。
その一年半あとに開腹手術をしました。
これはなぜかというと、親が肝臓が悪かったためです。
先代は若い時分にC型肝炎をもらってきて、肝炎から肝硬変になって肝がんになるという進行パターンでした。
私が事業を受け継いで一年くらいで、もう肝臓を移植しないといけない、生体肝移植しかないということになりました。
ドナーをどうするということになった時に、長男だし今まで育ててもらったから、「じゃあ、僕の肝臓をあげるよ」となりました。
まあちょっとカッコいいかなと思って、言っちゃったんですけれども(^^;
それで、親子で肝臓を移植しましょうという話になりました。
私はドナーなのでいろいろ調べてもらうんですね、CTとかMRIとかエコーとか。
そうすると、肝臓はいいんですけれども・・・膵臓に影が見つかりました。
膵臓というのは体の真ん中にあって異常がちょっと見つけにくいんです。
その当時私は35歳で、影が微妙な大きさで、これが腫瘍なら今のうちに取っておかないと本当にヤバいということで、おなかを開いて取ることになりました。
実際にとってみると腫瘍ではありませんでした。
血が固まっているのが膵臓に飛んできているようなものでして、幸いにも腫瘍ではなかったんです。
本当に幸運でした。本物の腫瘍だったら今頃この世にはいないでしょう。
健康体だったんですけれど膵臓を三分の一と脾臓を全部摘出して、今でもおなかに25針くらい縫った跡があります。
結局、手術前後で都合3か月くらい入院していました。
当然その間は寝たきりです。
社長になって一年半くらいたっていましたので、私がいないと会社が回らないなと思っていました。
けれども現場のスタッフとか会社の人がみんな頑張って、てんやわんやしながら仕事を回してくれていたんですよね。
そういうことがありまして、非常にありがたいなと感謝しました。
自分のできることは小さいけれど、皆さんが仕事をしやすいように頑張ろう、環境を整えたり、いい会社にしていくのが私の役目なんだと再認識しました。
そのころから私は感謝の念はずっと持ち続けています。
こういう転機があるからこそ、気づくことがあるんだな、と思っています。
カテゴリー:10年の振り返り -
2016年08月29日
己を知る
前のブログで、「社長になって10年たちました」と書きました。
とはいえ社会人になってすぐに先代の後を継いだわけではありません。
いずれは継がないといけないと思っていましたが、いったんは外の世界を知らないといけないということで、大学を出た後、銀行に就職しました。
最初は大阪難波の繁華街のお店にいたのですが、ありていに申し上げて、全然ダメダメな銀行員でした。
お金は数え間違えるは、はんこはもらい忘れるは、おつりは渡し忘れるは、何度も何度も間違えて、とにかく毎日怒られていました。
土地柄、結構お客様が来る店舗なのですが、朝起きてお店に行く途中に「はぁ~、今日は果たして一日終わるんだろうか」とため息をつくくらいなダメっぷりでした。
最たるものは入って三か月くらいのことです。一日の勘定が一円合わないということがありました。銀行では一円合わなくても出てくるまで探すんですね。三日ぐらい探した挙句、その原因が私ですと分かったということがありまして、これはいよいよあかんなと思ったことがありました。それくらいできない人でした。
そこで学んだことと言っていいのかわかりませんが、自分のできなさ加減、小ささというものはよくわかりました。それまでは結構自分は何でもやればできると思いあがっていた部分があったのですけれども、全然なにもできないんだという現実をよく認識しました。それは今に至るまで教訓になっています。「己を知る」ことができたのはよかったのかなと思います。
外の会社を経験してもう一つよかったのは、銀行は「マニュアル化」「標準化」がしっかりしていたことです。こういう時にはどうする、イレギュラーが起こったときはこう対応する。それが思った以上にきちっと文書で定められているのです。
それに銀行は組織がきちんとしている。営業だったり内勤だったり融資だったり、課長・副支店長・支店長のマネージャーだったり、そういうところで役割の違いと権限、組織・人の動き方を見ることができたのは大きいと思います。
あとはやはり「人財」という点では一定水準よりかなり上の人ばかりです。情熱のあるやり手の方はこういう人のことをいうんだ、この目線でこのレベルまでやったら周りの人が認めてくれるんだ、というモデルになる人が何人もいらっしゃったので、そういうところはよかったんだと思います。
そういう経験があったので、今私はこんなのでも「社長でござい」と言っていられるのかなと思います。
カテゴリー:10年の振り返り -
2016年08月22日
十年ひと昔
私が社長になって、今年で10年が経ちました。
向こう見ずの青二才が、あっちにぶつかりこっちにつまづきながら、よく10年もやってこられたなと思います
「十年ひと昔」と言いますが、この10年を振り返ると一日一日での変化はとても小さくても、10年の期間で見るとずいぶん会社は変わったと思います。
この10年の出来事といえば
・経営理念を新たに作った。
・経営計画発表会・社内合宿を毎年行うようになった。
・社内が物理的に明るくなった。
・社内のイベントごとが増えた。
・全く新しい分野に進出できた(水素・燃料電池分野)
・新聞や雑誌に取り上げられる機会が増えた。
・学会での発表、講演をさせていただくようになった。
・ベトナムに工場を作った。
何より若い人が増え、社内に以前とは違った活気が生まれるようになりました。「現場のものづくり」については全員参加で5S・改善活動を進め、工場内をペンキで塗りレイアウトを変更し、「必要なものが必要な時に」使えるようになりました。
「お客さまへの提案」については、お客様と寄り添うように親切に接し、お客様の困りごとに「打てば響く」ようにご相談に乗れるようになりました。
「開発型」のものづくり会社としては研究開発を積極的に進め、「水素分野ならタカイシに聞け」と言われるほどになりました。
10年前にこんな会社になるとは、まったく思ってもみませんでした。本当にびっくりします。
間違いなく私一人ではここまで来ることができませんでした。それもこれも、こんな若造を信じてついてきてくれた、スタッフの皆さんのおかげです。
そして暖かく厳しく見守っていただいたお客様と、たくさんの偶然ともいえる出会いのたまものです。
それでもできていないことがまだまだたくさんあります。これからも試練も失敗もたくさんあるでしょう。
ですが、今の仲間の皆さんとならどんなことでも乗り越えていけると思います。
これからも「いい人」がたくさん集まる「いい会社」を目指して、「しつこく真剣」に頑張っていこうと思います。
カテゴリー:10年の振り返り